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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)76号 判決

原告

金化元

ほか六名

被告

精文堂印刷株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告金化元、原告張育功それぞれに対し五六六万七九〇二円、原告張育幹、原告張育敬、原告張有子及び原告張全子それぞれに対し三七七万八六〇二円、原告内田由己子に対し九四万四六五〇円及びこれらに対する昭和五九年九月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告金化元、原告張育功それぞれに対し二九二一万三二一六円、原告張育幹、原告張育敬、原告張有子、原告張全子それぞれに対し一九四七万五四七七円、原告内田由己子に対し四八六万八八六九円及びこれらに対する昭和五九年九月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  本件事故の発生

〈1〉 日時 昭和五九年九月三日午後四時四〇分ころ

〈2〉 場所 東京都荒川区東日暮里五丁目四一番一四号先路上(以下、「本件現場」という。)

〈3〉 態様 訴外亡張元澤(以下、「訴外亡元澤」という。)は、足踏自転車(以下、「被害自転車」という。)で走行中、本件現場において、後方から同方向に進行してきた被告大石公仁(以下、「被告大石」という。)運転の普通貨物自動車(以下「被告車」という。)に衝突され、路上に転倒した。

2  訴外亡元澤の死亡

訴外亡元澤(昭和五年七月一二日生れ)は、昭和六三年一月六日、解離性大動脈瘤術後再破裂を直接の原因として死亡した。

3  責任原因

(一) 被告大石(民法七〇九条)

被告大石は、被告車の進路前向を注視しつつ進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然と進行した過失により、本件事故を惹き起こした。

(二) 被告精文堂印刷株式会社(自動車損害賠償保障法三条本文)

被告精文堂印刷株式会社(以下、「被告会社」という。)は、本件事故当時、被告車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた。

(三) よつて、被告らは、各原告に対し、各自、後記認定の損害額及び右に対する遅延損害金の支払いをすべき義務(不真正連帯債務)がある。

4  相続関係

原告らは、いずれも訴外亡元澤の法定相続人であり、大韓民国民法一〇〇九条により、次の割合で同人の権利義務を承継取得した。

原告金化元(配偶者) 二九分の六

同張育功(長男・戸主) 二九分の六

同張育幹(次男) 二九分の四

同張育敬(三男) 二九分の四

同張有子(長女) 二九分の四

同内田由己子(二女) 二九分の一

同張全子(三女) 二九分の四

二  争点

1  本件事故と解離性大動脈瘤の発症・死亡との間の因果関係

(一) 原告らの主張

訴外亡元澤は、本件事故により全身打撲の重傷を負い、右傷害により急激な血圧の上昇、血管内膜の破綻、解離を生じ、これによつて解離性大動脈瘤が発症した。そのため、昭和五九年九月一二日、胸部緊急手術を受け、退院後も通院治療を続けていたが、昭和六三年一月五日、解離性大動脈瘤破裂を起こし、翌六日死亡した。同人の死亡と本件事故との間には相当因果関係がある。

(二) 被告らの反論

解離性大動脈瘤の発症、その後の死亡と本件事故との間に因果関係はない。

訴外亡元澤には動脈硬化症及び右によつてもたらされた高血圧症の既往歴があつた。従つて、この既往症が原因となつて解離性大動脈瘤が生じたものである。

2  損害

原告らは、〈1〉入院治療費、〈2〉入院雑費、〈3〉入院付添看護費、〈4〉通院治療費、〈5〉通院交通費、〈6〉通院付添費、〈7〉温泉治療費、〈8〉休業損害、〈9〉死亡による逸失利益、〈10〉慰謝料(傷害分・死亡分)、〈11〉弁護士費用を請求しており、被告らは、一部を除き、その額を争うが、特に、原告らが主張する、算定の基礎とすべき訴外亡元澤の役員報酬について、その大半は利益配当分であり、労務対価性を欠くものである旨主張する。

3  過失相殺

被告らは、「訴外亡元澤は道路左側を走行中、右折のため、右後方の確認をしないまま、斜め横断を開始したもので重大な過失がある。」旨主張し、原告らは、被告大石の過失が重大であるから過失相殺すべきでない旨主張する。

第三争点に対する判断

一  本件事故態様

1  証拠(甲二、甲二一の一、乙九、原告金化元本人尋問の結果)によれば、

(一) 本件現場は、別紙図面のとおり、鶯谷方面から日暮里駅方面に通ずる、車道の幅員六・四メートルの舗装された平坦な直線道路であり、見通しは良いこと、最高速度は時速三〇キロメートルに制限され、また、駐車禁止、鶯谷から日暮里駅方面への一方通行の各規制がされていること、更に、右道路は市街地にあり交通は頻繁であること、

(二) 被告大石は、被告車を運転し、一方通行の規制に従つて鶯谷方面から日暮里駅方面に向かい、道路の中央より右側を進行していたところ、道路左側に駐車していた車両を通過するあたりで、二四・五七メートル前方の道路左側(車道左端から一・〇五メートルの位置)を進行していた被害自転車を発見したこと、その後、更に二二・〇七メートル進行した地点で、その手前八・二メートルの地点を斜めに横断していた被害自転車を認め(被害自転車は六・四四メートル進行したことになる。)、危険を感じてブレーキをかけつつハンドルを右に切つて衝突を避けようとしたものの、間に合わず、更に九・七七メートル進んだ地点において、被告車左前バンパー付近を被害自転車に衝突させたこと、そして被告車は衝突地点から一・七メートル先の地点に停車したこと、なお、本件現場には被告車のスリツプ痕は見当らなかつたこと、

(三) 他方、訴外亡元澤は、被害自転車を運転し、被告車の前方の道路左端を同一方向に進行していたが、その先の交差点を右折するため、本件現場を斜めに横切る形で進路変更を始め、一〇・八四メートル進んだ地点で背後から被告車に衝突され、数メートル先へ跳ねとばされたこと、横断を始める際、訴外亡元澤が右後方の確認をした形跡は窺われないこと、

(四) 衝突位置は進行方向の道路左端から四・三二メートルの地点であり、道路中央より右側にあたること

の各事実が認められる。

2  右認定事実によると、本件事故は、被害自転車が、道路を斜めに横断し、被告車の進路へ進出した状態で発生したものといえる。

ところで、被告車の速度と被害自転車のそれとの速度比は、被告大石の説明に基づけば、二二・〇七対六・四四であるから、被告車は被害自転車の三・四倍強の速度で進行していたことになる。足踏自転車の一般的な速度に鑑みると被告車の速度は少なくとも指定最高速度程度には達していた可能性が高く、この事実に加え、被告大石は、被害自転車の存在に気付いておりながら、被害自転車が斜めに横断して六・四四メートル進行するまで危険を察知しなかつたことになるから、前記第二、一3(一)のとおり、被告大石には、前方の車両の動静を注視して安全な速度を保ちつつ走行すべき注意義務を怠つた過失があるものというべきである。

しかしながら、他方、訴外亡元澤においても、右後方の安全を確認しつつ進路を変更すべき注意義務があるにもかかわらず、漫然と、斜め横断の形で進路を変更した点に過失があるものというほかない。

二  解離性大動脈瘤の発症・死亡との因果関係

1  治療経過・死亡に至る経過

(一) 訴外亡元澤は、昭和五九年九月三日、本件事故に遭い、全身打撲(頭部・顔面打撲及び擦過創、頸椎捻挫、両肘部・両膝部・両足関節部打撲傷及び捻挫)の傷害を受けた(乙三)。

(二) 同人は、同日、直ちに同仁病院に入院したが、当初、血圧がかなり上昇(血圧値二四〇mmHg―一二〇mmHg、以下、単位は省略する。)し、翌四日の血圧値は一九〇―一一〇、七日朝も一八〇―一一〇であつた(甲一三の六丁)。同人は、担当医師から動脈瘤の疑いがあることを指摘されて、東京都立駒込病院に転医して精密検査を受けたところ、解離性大動脈瘤と診断された。そこで、手術のため、同月八日から日本医科大学付属病院に転医した。

(三) 解離性大動脈瘤とは、大動脈内膜に亀裂が起こり、大動脈壁内に血液が流入して大動脈壁(中膜)が解離するものであるが(甲二六)、訴外亡元澤の解離性大動脈瘤の発症部位は、胸部の下行大動脈から腹部大動脈まで広範囲に及んでおり、分類としては、デイベーキーⅢb型に当たる(証人小泉潔の証言)。

(四) 同月一二日、日本医科大学付属病院胸部外科の小泉潔医師により人工血管置換術が施行された。置換部位は、左鎖骨下動脈への分岐部から下行大動脈にかけての部位であり、術中所見では、解離部に新鮮凝血塊(血栓)の付着があり、同医師は肉眼所見で、色調・粘性の変化から見て発症後二週間以内の状態にあると判断した。手術は成功した(小泉証言)。

(五) 訴外亡元澤は、同年一二月一日に退院したが、その段階で、術後の後遺障害として、右反回神経麻痺による高度の嗄声、日常言語機能障害、更には、上肢のしびれ、頭痛、動悸、息切れ、胸部圧迫感が残つた(甲三の四、五、甲六)。退院後は外来治療を続けていた(通院期間約七か月、実通院日数二四日)が、日常生活上、非常に疲れやすく、歩行もゆつくりとするほかなかつた(甲二一の二、原告金化元)。

(六) 訴外亡元澤は、本件訴訟の継続中である昭和六三年一月五日夜、突然、大量の喀血をし、シヨツク状態に陥つたため、前記日本医科大学付属病院に緊急入院したが、翌六日、死亡した(甲七、八)。死亡診断書における直接の死因は解離性大動脈瘤術後再破裂であり(甲八)、前記手術による人工血管と肺尖部とが癒着し、胸腔内に大量出血した結果と推定される(甲八、乙一の二四丁)。なお、解剖所見では、人工血管直下一センチメートルの部分から大腿動脈まで解離が残つていた(乙一の二四丁)。

2  既往歴

訴外亡元澤は、昭和五八年六月一〇日から同年一二月二八日まで、高血圧、胆石症等の病名で、日本医科大学付属病院第三内科において通院治療を受けていた(甲三の二)。高血圧の原因は動脈硬化であつた(小泉証言)。当初、血圧値は一九〇―一一〇であつたため、降圧剤を服用していた。その結果、血圧値は一五〇―九〇程度にコントロールされていた。同年八月の段階では、心電図検査、胸部レントゲン撮影において異常は認められなかつた(甲一三の六丁、小泉証言)。昭和五九年一二月一四日付の診断書(甲三の二)においては、この通院治療期間内に動脈瘤と思われる所見はないとされていた。

昭和五九年九月に前記手術を受けた際にも、訴外亡元澤には粥状あるいは潰瘍形成の動脈硬化が認められたが、五四歳という年齢相応の程度であつた(小泉証言)。

3  医学的所見

(一) 小泉潔医師の判断(甲三の三、小泉証言)

訴外亡元澤は、全身動脈硬化症及び高血圧症を有しており、解離性大動脈瘤の準備状態にあつた。右疾患の誘引(きつかけ)は、本件交通事故による急激なストレス・シヨツク等であり、その結果、高度の血圧上昇を来し、動脈の破綻・解離を起こした。

(二) 徳留省悟東京都監察医務院監察医長の判断(乙八)

訴外亡元澤の本件交通事故による外傷は軽度であり、交通事故だけからデイベーキーⅢb型の解離性大動脈瘤が発症したとは考えられない。同人には、高血圧症(動脈硬化症)があり、高血圧のために大動脈壁に長期間の慢性ストレスがあり、直接的には、これが解離性大動脈瘤の発症に起因している。但し、間接的には、本件交通事故が右発症に関与した可能性を完全には否定できず、その程度は一〇ないし二〇パーセントは認め得る。

4  当裁判所の判断

(一) 解離性大動脈瘤は、中膜壊死に続発する病変であり、その原因としては、特発性嚢状中膜壊死、動脈硬化、妊娠、梅毒、外傷などが挙げられている(甲二六ないし甲三〇、乙二)。

(二) そこで、まず、訴外亡元澤の解離性大動脈瘤の発症時期について検討する。前記のとおり、訴外亡元澤の高血圧症は、本件事故以前、降圧剤の服用により一定の数値にコントロールされており、昭和五八年六月から一二月までの間に動脈瘤と思われる所見はなかつた。その上、同人には日常生活上も異常がなかつたことが認められる(甲二一の一、原告金化元)。一方、前記のとおり本件事故直後には血圧値が異常に高くなつているのであるから、本件事故を契機に血圧が上昇したとみるのが自然であり、これを、解離性大動脈瘤の原因として、あるいは、それに由来する結果として理解することが可能である。加えて、前記のとおり、本件事故の九日後に行われた人工血管置換術の際、貯溜していた血栓が新鮮であつたことが認められ、この事実によれば発症の時期も本件事故時とほぼ一致することになる。してみると、本件事故を契機に解離性大動脈瘤が発症したとみるのが合理的である。

(三) そうすると、前記小泉医師が指摘するように、その原因としては、本件事故による急激なストレス、シヨツクが考えられるところであり、本件事故との因果関係は肯定できるというべきである。

(四) しかしながら、前記認定の訴外亡元澤の外傷の程度は骨折までには至つていないものであり、交通事故によるストレス等だけが解離性大動脈瘤発症の原因であるとみることは困難である。前記発症原因のうち、特に最近は動脈硬化を原因とするものが増加しているとされており、動脈硬化(高血圧)のために動脈壁に加わる慢性のストレスが中膜壊死を促進すると考えられているのである(乙八)。ところで、訴外亡元澤には、前記のとおり五四歳という年齢相応の動脈硬化が認められ、そのため高血圧症の治療を受けていたのであり、本件事故の当時も動脈硬化自体が継続して存在したことは明らかである。更に、動脈硬化を原因としないで、前記のとおり、二、三日という短期間に、発症部位が広範であるデイベーキーⅢb型の解離性大動脈瘤が起こることも考えにくいから、解離性大動脈瘤の主たる原因は訴外亡元澤の前記既往症にあるものというべきである。

(五) してみると、訴外亡元澤の解離性大動脈瘤は、同人の有していた動脈硬化症(高血圧症)を基礎に、それと本件事故とが共働原因となつて発症したものというべきである。前記各医学的所見も、軽重の差はともかく、基本的には同旨である。

(六) また、その後、同人が死亡したことについても、耐術者の五年生存率が約六〇パーセントとされていること(甲二六)、人工血管と肺部とが癒着した胸腔内に大量出血が起こり死亡に至ることはままあること(小泉証言)、東京都監察医務院における昭和五八年から六二年までの解離性大動脈瘤破裂による突然死の剖検二三九例のうちデイベーキーⅢ型二二例について調べたところでは、家事・談話中、就寝中、入浴中、歩行中、作業中、飲食中に起こつたものが大半であり、運動負荷及び精神的ストレスの有無に拘らずいつでも発症(破裂)し得るという結果となつていること(乙八)に鑑み、因果関係を認めてよい。

(七) 以上を総合すると、損害の公平な負担という損害賠償の法理に照らし、民法七二二条を類推適用し、死亡による損害の六割を減ずるのが相当である。

三  損害

1  入院治療費

(一) 同仁病院、東京都立駒込病院関係(乙五) 二一万八九七五円

(二) 日本医科大学付属病院関係(甲九、一〇、甲一一の一ないし三) 三五八万六一六三円

2  入院雑費 九万〇〇〇〇円

(請求 三〇万三五二七円)

証拠(甲一二)によれば、訴外亡元澤の入院中、雑費を要したことが認められるところ、一日あたり一〇〇〇円の限度でこれを認めるのが相当であるから、入院日数九〇日分の雑費は頭書金額となる。

3  入院付添費 一八万〇〇〇〇円

(請求 三三万三〇〇〇円)

証拠(原告金化元)によれば、訴外亡元澤の入院中、同人の妻である原告金化元が殆ど毎日付添つたことが認められ、訴外亡元澤の症状が重篤であつたこと等に鑑みるとその必要性は肯定できるところであるが、日本医科大学付属病院が完全看護であつたことに照らし、一日あたり二〇〇〇円の限度でこれを認めるのが相当であるから、頭書金額となる。

4  通院治療費(甲一〇) 一〇万三五二〇円

5  通院交通費(甲一二) 四万三三七〇円

6  通院付添費 四万八〇〇〇円

(請求 四万八〇〇〇円)

証拠(原告金化元)によれば、訴外亡元澤は、退院後、体重が減つたため、他人の付添いがないと歩行も十分にできなかつたこと、そのため原告金化元が通院に付添つたことが認められるから、一回当たり二〇〇〇円の費用を要したものとみるのが相当であり、二四回分を合計すると頭書金額となる。

7  温泉治療費 認められない

(請求 二四万六一一〇円)

証拠(甲一二、原告金化元)によれば、訴外亡元澤は、手足の痺れのため、静岡県の畑温泉に治療に行つたことが認められるけれども、治療上の必要性が判然としない上、明確な医師の指示があつたものとまで認めることはできないから、相当因果関係にある損害ということはできない。

8  休業損害 一七五四万六三〇四円

(請求 三二〇〇万円)

(一) 証拠(甲四の一、二、甲五の一、二、甲一四の一ないし三、甲一五ないし甲一八、甲一九の一ないし六、甲二〇の一ないし六、甲二一の一、二、甲二二、二三、原告金化元)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 訴外亡元澤は、本件事故当時、有限会社ホテル三景及び有限会社永幸商事の各代表取締役をしていた。同人は、これらの他に、丸友商会の商号で鞄の卸業も営んでいた。

ホテル三景は、旅館を営業する会社で、従業員は一五ないし二〇名であり、訴外亡元澤が経営管理を引受けて、毎日一、二回会社に出向いては、給与等の支給、銀行との交渉、雑貨・備品の購入、売上確認、帳簿点検などを行つていた。

永幸商事は不動産の売買・仲介、健康マツト等の仕入・委託販売を行う会社で、訴外亡元澤が、事務員一、二名と妻、息子らの協力のもとに、主として不動産売買・仲介を行つていた。

(2) 本件事故により、訴外亡元澤は執務に就くことができなくなつたため、ホテル三景においては、同人の長男である原告張育功が経営を管理することになつた。また、永幸商事においては、三男であり原告張育敬が中心となつて事業を引継いだ。

訴外亡元澤は、本件事故直前には、ホテル三景から月額七五万円、永幸商事から月額五〇万円の各役員報酬の支払を受けていたが、右のとおり執務が不能になつたとして、それぞれの臨時社員総会(取締役会)において、ホテル三景については昭和六〇年一月分から月額二五万円に、また、永幸商事については昭和五九年一〇月分から月額二〇万円にそれぞれ減額された。このうち、ホテル三景における減額分月額五〇万円は同会社の役員に就任した原告張育功の給与に充てられた。

(3) 訴外亡元澤の前記三つの営業による所得は、確定申告書によると、昭和五八年分が九三六万八一一七円であるが、昭和五九年分は、途中で本件事故に遭つたために八二〇万九六八八円、昭和六〇年分は三九〇万五四九二円(いずれも不動産収入を除く。)となつている。

(一) 以上によれば、昭和六〇年以降の、訴外亡元澤の本件事故による受傷のために減収となつた年額は、昭和五八年分を基礎として、そこから昭和六〇年分を差し引いた額とするのが相当であり、従つて年額五四六万二六二五円、死亡までの三年分は一六三八万七八七五円となる。この金額に、昭和五九年分と五八年分との差額一一五万八四二九円を加えた金額である一七五四万六三〇四円を休業損害と認める。被告は、これらの内には労務対価のない報酬分が含まれる旨主張する。確かに、本件事故後も支給されている金額は労務対価性がないといえるが、訴外亡元澤の前記職務内容や減額の額・程度に照らし、右減額分をすべて労務の対価とみて差し支えないといえる。

(三)(1) ところで、原告らは、前記(一)(2)で認定した役員報酬の減額月額八〇万円を基礎に、昭和五九年九月から昭和六二年一二月までの四〇か月分三二〇〇万円が休業損害である旨主張している。もつとも、原告らの主張を前提とすると、ホテル三景に関しては、決算報告書上、同会社での減額分は昭和六〇年一月から昭和六二年一〇月までで一二八〇円に止まる(昭和六二年一一月、一二月は計一八〇万円の収入があるので減収は認められない。)一方、永幸商事については、決算報告書上、昭和五九年一〇月から昭和六二年九月までで一四〇〇万円の減額に及ぶ(昭和六二年一〇月から一二月までの分については証拠がない。)。

(2) よつて、検討するに、本件事故直前の役員報酬額を前提とすると、ホテル三景での年額は九〇〇万円、永幸商事でのそれは六〇〇万円となるはずで、前記(一)(3)で認定した昭和五八年度の年収をかなり上回ることになる。

確かに、ホテル三景については、決算報告書上、昭和五七年一一月以降、売上は八〇〇〇万円台から九〇〇〇万円台、人件費は五〇〇〇万円台から六〇〇〇万円台で推移し、毎年の欠損金額も経営規模に比較してわずかであり、この状態は本件事故以降も昭和六一年頃まで基本的に変つていないから、九〇〇万円という役員報酬を基礎としても不合理ではない。

しかしながら、永幸商事は、前記のとおり、訴外亡元澤が中心となつて、主として不動産の売買・仲介を業務とするものであるところ、不動産売買・仲介による収入は変動が大きいといわざるを得ない上、月額五〇万円という報酬が支払われるようになつたのは本件事故の四か月前からにすぎず、同人が本件事故に遭わなかつたとして、その後も継続的に得られていたと推認することは困難である。実際、右会社の設立が昭和四六年(甲二一の一)であり、かなり継続していたものの、昭和五七年度には同人の報酬が支払えない状態にあつたこと(甲二〇の一、甲二一の一)、昭和五八年、五九年度の欠損金額も一〇〇〇万円前後にまで及んでいることが認められるのである(甲二〇の二、三)。また、本件事故まで、訴外亡元澤の他に、同人の長男(原告張育功)、次男(原告張育幹)及び三男(原告張育敬)が前記会社の手伝いをしており、三人を合わせると全体の仕事の半分以上に関与していたこと、しかるに小遣い程度の手当しか得ていなかつたことが認められる(原告金化元、甲二二)。従つて、仮に、五〇万円を基礎とするにしても、訴外亡元澤の報酬中には息子らの寄与分も含まれているものというべきである。

(3) 以上、要するに、永幸商事に関し、本件事故直前の報酬額が継続的に得られたとする蓋然性に乏しい上に寄与分の評価もすべきであるから、全額をそのまま休業損害の基礎とするのは妥当でない。更に、訴外亡元澤の仕事はこれらの他に丸友商会における鞄の卸販売もあつたのであり、これら三つの仕事はほぼ均等に行つていたこと(原告金化元)、丸友商会は毎年一〇〇万円台から三〇〇万円台の赤字であつたこと、固定費支出は微々たるものであるから、休業により、毎年の欠損分の殆どを免れる関係にあること(甲四の一、二、甲五の一、二)が認められるから、この丸友商会の休業分も考慮すべきである。

(4) 従つて、原告らが主張する休業損害の算定方法よりも、ホテル三景と丸友商会の報酬、所得が計上され、永幸商事における不確実な報酬額が計上されていない段階である昭和五八年の確定申告書記載の収入額を基礎として算定する方法の方がより合理性があるものといえるから、前記(二)のとおり認定するのが相当である。

9  死亡による逸失利益 三七四九万二八九〇円

(請求 七四六三万一九〇〇円)

原告は、本件事故当時、五四歳(昭和五年七月一二日生れ)の男性であり、前記のとおり既往症はあるものの、仕事上に支障をきたすような状態にはなく(甲二一の一、原告金化元)、前記の三つの業務に従事していたところ、本件事故を契機に三年余の長期療養の末死亡するに至つた(死亡時五七歳)。その逸失利益の基礎とすべき収入については、既に検討したとおり、昭和五八年分の所得九三六万八一一七円(甲四の一、二)とみるのが相当である。また、弁論の全趣旨によれば、訴外亡元澤は、本件事故に遭わなければ五七歳から六七歳まで一〇年間、稼働可能であつたと認められる。生活費控除については、同人が一家の支柱であるものの、子供らはいずれも成人に達していることに鑑み、その四割を控除すべきである。従つて、中間利息をライプニツツ方式(五四歳から六七歳までの一三年の係数から、五四歳から五七歳までの三年の係数を控除した係数は六・六七〇三)により控除して本件事故当時における現価を算出すると、次のとおりとなる(円未満切捨て。)

9,368,117×0.6×6.6703=37,492,890

10  慰謝料 二二〇〇万〇〇〇〇円

(請求 傷害分・二一七万一〇〇〇円、死亡分・二〇〇〇万円)

本件事故に遭遇した際に被つた訴外亡元澤の恐怖や苦痛、入院約三か月、通院約七か月間を要する重傷を負つたこと、働き盛りに妻子を残して命を断たれた同人の無念さ、その他諸般の事情を考慮すると、慰謝料として、傷害分二〇〇万円、死亡分二〇〇〇万円が相当である。

四  損害の減額

前記三における損害の合計は三1(一)の同仁病院、都立駒込病院関係の治療費である二一万八九七五円を除き、八一〇九万〇二四七円であるところ、前記二のとおり、その六割を減額するのが相当であり、その額は三二四三万六〇九八円(円未満切捨て)となる。従つて、相当因果関係にある損害の合計は三1(一)の額を加えた三二六五万五〇七三円となる。

五  過失相殺

前記一で認定した、被告大石と訴外亡元澤の過失を対比すると、同人の損害額の二割を減ずるのが相当である。従つて、過失相殺後の金額は二六一二万四〇五八円(円未満切捨て)である。

六  既払控除

前記三1(一)の治療費二一万八九七五円(乙五)及び三1(二)の治療費のうちの一〇〇万〇二二一円(争いなし)は既に被告において支払済みであることが認められるから、この金額を控除した損害合計額は二四九〇万四八六二円である。

七  弁護士費用 二四九万〇〇〇〇円

八  合計 二七三九万四八六二円

九  相続による各原告の取得額(円未満四捨五入)

原告金化元及び同張育功(各二九分の六) 各五六六万七九〇二円

原告張育幹、同張育敬、同張有子及び同張全子(各二九分の四) 各三七七万八六〇二円

原告内田由己子(二九分の一) 九四万四六五〇円

一〇  以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、右九記載の各金額及びこれらに対する不法行為の日の翌日である昭和五九年九月四日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小西義博)

別紙 〈省略〉

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